役員------会長-社長

             米国では既にこの頃、小型キット車販売始まる

昭和23年     既に3輪貨物自動車は3社存在

昭和24年     GHQ 乗用車の生産制限解除

昭和25年     朝鮮戦争 各業界が特需に
             前後して、20社強が軽自動車製造に乗り出す
             うち10社程度が4輪軽乗用車に挑戦、他は3輪
             4輪は重量等からも技術的には難しい部類にあった
             須中製作所は当時 墨田区に所在、
             戦前は自動車に陸軍の軍用医療装置を取り付ける仕事等をしていて自動車に縁があった
             戦時中は風船爆弾の信管も作っていた
             戦争が終わって軍の仕事が無くなり、自動車の製造に着目
             須中製作所も原付エンジンバイク試作は終えていた
昭和25年     日本の乗用車生産2396台

昭和26年     既に昭和17年からご縁のあった須中製作所創業者の須中酉次郎社長と自動車製造で合意
             ノーベル自動車株式会社創立着手
             神田に事務所を借り、カタログも作成
             
             車体は須中製作所が製作
             エンジンは米ウィスコンシー製を輸入、輸入エンジン方式では唯一(無謀?)
             正規ルートでは輸入も困難な時代
             陸軍中佐であった内藤氏が米国にも通じ、技術顧問で支援
             内藤氏は後にミドリ十字社創業
昭和26年11月 小型4輪軽自動車ノーベル号4台試作、試運転(兼田武剛も試乗したが坂の途中で故障した)
             
             車名は湯川英樹がノーベル賞を受賞したことを受けて同社顧問兼田銀蔵が命名
             兼田は同社取締役総務部長に就任
             資金作りに奔走
             松田雪堂氏、岡崎嘉平太氏、谷名信也氏と連携
       
昭和27年 5月 日刊自動車新聞(5月23日) 「販売価格30萬円という小型4輪乗用車が
             量産の段階に...今年1月4台の試作車を完成...走行1000kmを超えるテストを
             行った...当面月産70台の目標で量産に入ることになった...」
             「販売機関としてノーベル自動車鰍設立中...」

昭和27年12月 超インフレで資材高騰、買付け困難
             須中製作所 銀行取引停止
             自動車事業創業の野心はノーベル号4台試作で夢に終わった。

この頃      4輪ではオートサンダル発売
             フライングフェザーが続く

             その後
             量産までこぎつけたのは3輪でミゼット、4輪でスバル...


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