役員------会長-社長
代表取締役会長  兼田銀蔵  (Ginzou Kaneda)


 

 

明治44年  青森県生まれ 
昭和06年  青森県師範学校卒
昭和10年  東京府出向、昼先生、夜日大夜間部法科
昭和14年  日本大学専門部法律科卒業
昭和16年  日本大学法文学部法律学科卒業
昭和16年  司法試験断念
昭和17年  日東金属株式会社
昭和17年  須中製作所 支配人
昭和17年  日本タイヤ(現ブリジストン)入社
昭和20年  日本タイヤ退職
          終戦時、日本タイヤが全員首切り時、幹部候補4人のなかに残ったが
          「実業家」目指し退職
昭和21年  昭永産業株式会社設立(戦災都市復興事業)
          50万円の大金(銀座が100坪買える)借金申込
          (俺は未来の大実業家だ、と勧銀から)
          融資が下りる2日前に、木材統制価格解除
          青森で木材は2倍に高騰→方向転換
昭和26年  中央電波株式会社 専務取締役
          青森県の日本海側に漁業用無線基地建設、漁船に無線機販売計画
          電波の割り当てが必要で連合軍総司令部で海軍少佐に直談判
          電波庁課長に指示、20万円補助金指示
          不漁で多額の回収不能
          インフレ、資金は紙くず同然
昭和26年  株式会社須中製作所 顧問
昭和27年  ノーベル自動車株式会社創立着手
          起死回生狙い自動車事業へ、軽自動車ノーベル号試作→挫折
           

昭和28年  クラウンスクーター株式会社 専務
昭和29年  会社経営行き詰まり
          ...

          殖産住宅セールスマン
          マットレスセールスマン
          ...
          電通顧問(朝日新聞取締役パージ)新田宇一郎のPRの本読み
          「先生の本で分からないところを教わりに」自宅夜討ち
          「全面的に支援しよう」
          紹介状で大物に次々会えた
昭和31年  日本PR研究所創立 (わが国最初の"PublicRelations"専門研究所)
          大企業の製品の真価を消費者に周知させたい
          月刊誌を出し数十万部売りたい...
          銀座に40坪の事務所、事務17名
          経営学、販売技術、広告、PRに関する研究発表および講演60回
          広告界に無名の新人現る...
          
写真は松下幸之助氏と。
昭和36年春 、 松下電器幹部に事業部制の教育
指導を行った際に、熱海来宮のホテルで会談した。
日本の中小企業経営の為提言を求めたところ
@時代の流れを正しく捉えて3年先を歩め
A人材を揃えよ
B運に恵まれること
の三ヶ条をいただいた

昭和37年 (小生18歳)新宿バーチャル事務所に移転 口座開設のため訪ねた信金新宿支店長の知遇を得て 新宿の中小企業経営者に講演 以降 経営顧問として各社指導 昭和54年 青森大学講師 中小企業論、市場調査担当 昭和56年 青森短期大学教授 広告論担当 〜60年
昭和29年に24万円で買った土地の裁判に昭和52年勝訴、 昭和62年1億8千万で転売、戸塚区平戸に事務所兼自宅建設 平成元年バブル頂点 平成08年 1996年 日本SPR研究所設立 平成11年 1999年 シーアールシー・ジャパン併設 平成12年 2000年 株式会社 日本ドットコム 代表取締役会長就任 平成14年 2002年 青森県褒賞 受賞 (県勢の発展に貢献) 現在 数社の経営顧問担当 青森県の青い森の特派員 耳は遠くなったものの、パソコンとFAXを駆使中 (電話でのご相談は失礼させて頂いております)
メール:g-kaneda@nihonn.com FAX:045-824-0774
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